登場人物
- 名前(仮名):沢村 みなみ(さわむら みなみ)
- 年齢:22歳
- 性別:女性
- 住まい:東京・中野区のワンルームマンション
- 職業:新卒入社の事務職OL
- 現状の悩み:上京1年目。都会の喧騒と孤独にまだ馴染めない
物語
1.東京の夜は、静かじゃない
終電のアナウンスが終わったあとも、東京の夜は静かにならない。
コンクリートの隙間を縫って響いてくるのは、車のエンジン音、
どこかのビルの裏口から漏れる笑い声、誰かの電話の声。
深夜1時を過ぎても、人の気配がどこかに残っている。
上京して3ヶ月が経つけれど、この“消えないざわめき”には、まだ慣れない。
私は東京の、夜の音が苦手だ。
眠るはずの時間なのに、まるで誰かに「まだ起きてろ」と言われているような気がして、
息をひそめていても、心がざわざわしてしまう。
生まれ育った町の夜は、ずっと静かだった。
窓を開ければ、風の音と虫の声だけが耳に届いた。
まるで自然が「今日はおやすみ」と言ってくれているような優しさがあった。
それが、東京にはない。
2.“ただいま”を言う相手がいない
東京に来て最初の頃、母からよくLINEが届いた。
「ご飯ちゃんと食べてる?」
「夜道は気をつけなさいよ」
そのたびに、「うん」とだけ返した。
実際は、コンビニのサラダとパンだけで夕食を済ませることも多い。
誰に見られるわけでもないし、テーブルに並べる必要もない。
仕事から帰って電気をつけ、シャワーを浴びて、ベッドの上でスマホを眺める。
“ただいま”と言って、返事がある生活が、急に遠くなった。
東京の家には“生活音”が少ない。
ワンルームのこの部屋では、テレビの音も、笑い声も、誰かの足音も、存在しない。
代わりにあるのは、冷蔵庫の低い唸り声と、自分の息の音。
都会の人はみんな孤独だ、と言う人がいるけれど、
それってつまり、“誰にも話しかけなくても1日が終わる”ということなんだと、最近になって分かってきた。
3.山奥の駅にあったもの
小さな頃、最寄り駅まで徒歩30分だった。
舗装されていない坂道を、自転車を押して降りるのが日課だった。
誰もいないホームで待っていると、カチカチという時計の針の音が聞こえた。
その音は、周りが静かだったから聞こえたのかもしれない。
今の東京では、聞こえるはずもない。
駅には駅員さんもいなくて、自動改札なんてなかった。
その駅のベンチには、木でできた小さな看板がぶら下がっていて、
「晴れていても、傘をお忘れなく」と、誰かの優しさが書かれていた。
東京の駅には、そういうものはない。
たくさんの人がいて、どこも同じ自動音声が響いている。
私はその流れの中で、「立ち止まる」ということを忘れそうになる。
4.会社での“正しい笑顔”
会社に行くと、私は「ちゃんとした人」になる。
目を見て挨拶し、業務の合間に軽い雑談をこなし、先輩にお茶を出すタイミングも覚えた。
でも、それは全部、“社会人として正しく振る舞うため”の自分だ。
たまに、同じ部署の女の子たちがランチのあとに笑い合っているのを見て、
その輪に入りたいと思いながら、言葉を飲み込んでしまう。
九州の方言がぽろっと出てしまうのが怖いのかもしれない。
「そっちじゃないんだよ」と言われたくない自分がいる。
今の私は、「東京で暮らしていけるように編集された私」。
そうやって削ったり、整えたりしていくうちに、
自分の輪郭が、少しずつぼやけていっている気がする。
5.コンビニで泣きそうになる夜
ある夜、帰り道にふと立ち寄ったコンビニで、年配の女性店員さんが
「おつかれさま」と言ってくれた。
その声が、母に似ていて、
私は何も買わずに、外に出て泣きそうになった。
誰かに“疲れてる”って、言われたのが久しぶりだったからだ。
東京では、誰も私の顔色なんか気にしない。
誰も「大丈夫?」なんて訊いてこない。
でも、それってきっと、悪いことじゃない。
みんな、自分のことでいっぱいいっぱいだから。
ただ、あの店員さんの声だけが、なぜか東京の音とは違っていた。
6.“帰りたい”のではなく、“戻れない”という感情
地元の友達から「東京、合ってなさそうだね」と言われた。
その言葉に対して、否定もできなかったし、肯定もできなかった。
「帰ってくれば?」と言われたけど、
もう、あの頃の自分に戻ることはできないと分かっている。
帰ったって、きっと何も変わらない。
駅の時計の針は今もカチカチ鳴ってるかもしれないけど、
そこに立つ私は、もうあの頃の私じゃない。
東京はうまく歩けないけど、
それでも、私はここで泣いて、笑って、傷ついて、
「22歳の私」を生きている。
この生活を、“失敗”にしたくない。
そんな気持ちだけが、今の私を動かしている。
一言まとめ(人生の問い)
「帰りたい」と思う夜ほど、もう戻れないと知っている。
あなたにも、そんな夜がありますか?