今日は誰にも会わない。
連絡の予定もないし、SNSの通知も朝から一度も鳴っていない。
カーテン越しの光が部屋にじわじわと入り込んで、時計の針はゆっくり午後を指し始めている。
買い物は昨日の夜に済ませた。食べるものも飲み物もある。
だから、出かける理由なんて何もない。
誰かと話す予定も、見られる予定もない。
それでも午後1時すぎ、クローゼットからTシャツとスウェットを取り出して着替えた。
意味なんてない。ただ、毎日そうしている。
誰にも見られていないのに、今日もまた、着替えた。
以前なら「着替える」という行為には、目的があった。
外に出るため、会社に行くため、誰かに会うため。
清潔に整えた服を選び、靴を履いて、生活の輪郭を作っていた。
だけど今は、目的がない。
ただ、自分のために着替えるだけ。
鏡に映った姿を整えるわけでもなく、誰かの目線を意識するでもなく、
ただ、寝ていた服から起きている服に変えるだけ。
無職になってから、生活は一枚ずつ、皮を剥がされるように変わっていった。
最初は「少しの休息」だと思っていた。
けれど、数日が数週間になり、数週間が数ヶ月に変わるころには、
何をするにも「なぜ?」がつきまとうようになった。
なぜ起きるのか。
なぜ食べるのか。
なぜ着替えるのか。
なぜ今日があるのか。
質問だけが増えて、答えは何も見つからない。
それでも、時間は過ぎていく。
昼と夜は繰り返し、季節だけは正確に移ろっていく。
午後の静かな部屋。
冷蔵庫の低い唸りだけが、生活音を主張している。
外から子どもの声が聞こえてきた。
誰かは今日も、友達と笑っている。
誰かは、パートナーと買い物に出かけている。
誰かは、仕事の電話をかけている。
どれも今の生活にはないものだ。
着替えることで、心がすっきりするわけじゃない。
何かが報われるわけでもない。
でも、布団の中でスマホを眺めていた自分から、
少しだけ違う姿に変われた気がする。
たったそれだけのために、服を着替える。
意味のないことを、意味のないまま続けること。
それが今できる、唯一の“生きている”感覚。
午前と午後の境目を曖昧にするように、
窓の外は少し曇っている。
さっき温めなおしたコーヒーが、机の上でまた冷えていく。
飲まなくてもいい。でも、そこにあるだけで少し救われる。
“ある”という事実が、“ない”ばかりの毎日をほんの少しだけ打ち消してくれる。
誰にも見られていないのに、
誰かに見られることを諦めきれていない。
どこかで、今日こそ通知が鳴るかもしれない。
どこかで、名前を呼ばれることがあるかもしれない。
そんな淡い期待を、完全に捨てられないでいる。
玄関のカギは閉まったまま、テレビの電源はオフのまま。
でも、今日も着替えた。
たったそれだけの違いで、世界と少しだけつながっている気がした。
コメント