登場人物
- 名前(仮名):橘 大吾(たちばな だいご)
- 年齢:41歳
- 性別:男性
- 住まい:千葉県内の団地(UR賃貸)で一人暮らし
- 職業:倉庫内作業員(契約社員)
- 現状の悩み:離婚後、息子との面会が許されず、SNSでしか成長を見られない
物語
1.「父親じゃない」午後
午後3時、いつも通りの団地のベランダから見える空は、今日はやけに白かった。
洗濯物を取り込む手を止めて、思わず空を見上げた。
こんな日は、だいたい彼の誕生日に近い。
もう9歳か。
最後に会ったのは、確か4歳のときだった。
小さな手でハンドルを握って三輪車に乗っていたあの背中が、頭に焼きついている。
今、彼はどんな風に笑うのか、どんな服を着ているのか、まったく分からない。
だけど、元妻のSNSにはときどき彼の姿が出てくる。
モザイク越しの写真と、「ママとデート♡」のコメント。
名前を呼ばれている様子は、そこにはない。
画面越しに見る我が子を、どうやって“育児参加”と呼べばいいのか。
2.「父親」という役割の剥がれ方
離婚の理由は、よくあるものだった。
家事を巡る価値観のズレ。
仕事ばかりで、家庭をかえりみない。
言われるたびに「そうだな」と思っていたけれど、だからといって変えられなかった。
離婚調停のとき、元妻の言葉は今でもよく覚えている。
「この人は“親”にはなれない。生活を支えるだけで“子どもを見る目”がない」
そのとき、自分が「父親じゃない」と宣告された気がした。
養育費は送っている。
滞納もしていない。
でも会えない。声も聞けない。誕生日も知らされない。
父親って、なんなんだろう。
3.団地に染みついた生活音
夕方になると、団地の隣の部屋から子どもの声が聞こえてくる。
「お父さーん、ごはんできたよー」
そんな何気ない声が、ひどく胸に刺さる。
声のトーン、笑い方。全部、自分の息子にもあったような気がして。
団地は古くて、壁が薄い。
生活音は筒抜けで、テレビのチャンネルすら聞こえる。
この部屋に引っ越したのは、離婚してすぐだった。
家財道具も最低限。
あのとき唯一持ってきたのは、アルバム1冊と、息子が描いた「おとうさんへ」の絵。
今もそれは、押し入れの奥にある。
取り出すのは、いつも冬だけ。
妙に冷える夜だけ、そっと開く。
4.SNSだけが繋がっている
元妻とは、連絡はもう一切ない。
唯一の“接点”は、鍵のかかっていないSNSアカウントだけだ。
最初はブロックされたが、数年前にアカウントが変わったようで、今は閲覧できる。
そこには、息子の写真が数枚、イベントのたびに投稿されている。
運動会、クリスマス、習いごとの発表会。
どの投稿にも、私の影は一切ない。
「私たち親子、やっとここまで来ました」
そんなコメントに、胸がズキッとする。
“私たち親子”。
そこに、私の居場所はない。
5.父親であることを、証明する人がいない
ある日、職場の休憩室で、同僚が子どもの写真を見せてきた。
「うちのガキさ、最近反抗期でさ〜」
そんな愚痴を言いながらも、目がどこか優しかった。
私はスマホを出せなかった。
「子どもいるんですか?」と聞かれたら、なんと答えていいか分からなかったからだ。
「います」と言えば、どこに住んでる?何歳?休日は何してる?と続くだろう。
「いないです」と言えば、それは嘘になる。
どちらも、答えとして、しっくりこない。
だから私は、ただ笑ってうなずく。
“父親であること”って、証明が必要なんだろうか。
誰かに見せられない時点で、それは「無かったこと」になるのだろうか。
6.誕生日の夜に、買ったケーキ
9歳の誕生日。
仕事の帰りに、駅前のケーキ屋でチョコレートケーキを買った。
もちろん、息子には渡せない。
ただ、自分が「お祝いした」という事実だけが欲しかった。
部屋に帰って、ひとりでローソクを1本立てて、火をつけた。
スマホの画面に、元妻の投稿が流れていた。
「〇〇、9歳になりました。これからも笑顔を忘れずに。」
私は画面に向かって、「おめでとう」とつぶやいた。
その声は、部屋のどこにも響かなかった。
ケーキは翌朝まで冷蔵庫にあった。
誰にも見られず、誰にも食べられず、ただそこにあった。
一言まとめ(人生の問い)
「父親らしくいる」とは、誰に、何を、見せることなんだろう。
あなたが“親であること”を感じるのは、どんなときですか?